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naoaki 山のパン屋さん

益子に行ってきました。starnetの近くに、pine de musha musha というパン屋さんがあるというので行ってみました。朝10時半ぐらいに、オナカをすかせて店に行くと、パンのいい香り。パンの販売と併設して小さな カフェも運営されていて、少し遅い朝食を頂きました。同人はホットドックを頼み、私はトーストを頼みました。加えて、店頭で売っているパンデショコラを一 つ。このパンがまた、すこぶるおいしく、パンの端からはみ出したところに、ちょこっと粒々とベルギーチョコがはみ出しており、その食感と甘さのバランスが 絶妙でした。おいしいできたてのパンのホットドックも当然おいしくて、こんな朝ご飯がいつもだとなぁとしんみりします。 民家の少ない中、ポツンとあるパン屋さんなのでよく商売をしているなぁと思いましたが、私たちのようにカフェに訪れる客、パンを買いにくる客は途絶えてお らず人気のご様子。夫婦二人で切り盛りをしているのですが、その二人に適正な大きさで、適量のお客をもてなし日々が丁寧に積み重なっているような印象を受 け、うまく生活をすれば、忙しく過ぎず、充実した時間が過ごせるお手本のような気がしました。 都市生活が前提だと、なかなかこの適量を自分自身の単位として捉えることが難しい。コンビニであれば、商圏の住民のニーズに答えることが適量だけれど、こ の近隣の人数と、このパン屋訪れる人数は、桁違いに違うものなのでしょうか。そんなに変わらないのかもしれないと思うと、コンビニのパンと、小さな個人の パン屋を比べてはダメだけれど、やっぱりおいしいパンが食べたい訳です。単純においしいパンをつくるヒトが近くにいるかどうかの違いなのだけなのかもしれ ません。毎朝おいしいパンを食べて、ゆっくり日が沈むのを感じられる生活が、とても贅沢に感じられるのですが、皆さんはいかがでしょうか。 旦那さんがコーヒーを焙煎して入れてくれるのですが、豆は京都のオオヤコーヒーを仕入れていますと行っていました、また、コーヒーの他のメニュー見ると、 ティモールとあったので、これはフェアトレードなのかなと思いました。こういったお店は、日本全国津々浦々に、あるセンスの情報網で繋がっていて、山間で あるとか、人里離れているとかを、飛び越えてしまう、日本サイズのコミュニティの強さを感じる瞬間でもありました。情報が伝わりやすく、繋がりやすくなっ た恩恵を受けているのかもなーと。何よりも地元のヒトに愛されてないと成り立たないものであることは前提ですが、+αの部分で、そう思った次第です。 いやぁ、おいしかった。また、行きますが当分先なのが残念です。


naoaki 「補助線が月」

「稲本さん、“物事”と言うでしょう。“物”だけじゃ駄目で、そこに“事”が付いて、それでクラフトや家具や家が本当の価値を持ってくるんでしょう。オー クヴィレッジも、人や地球と繋がる事で、即ち“事”を大切にし続けて欲しいね」 オークヴィレッジのニュースメールを見ていたら、筑紫哲也さんと、オークヴィレッジ代表の稲本さんの対話の記事が掲載されていた。冒頭の言葉は、筑紫→稲 本さんの言葉で、稲本さんが座標軸として大切にしている言葉とのこと。 モノづくりの会社では、モノをつくる前に人をつくるという考え方がある。これは、一面モノをつくることが、人づくりと密接であることをあらわしている。ど んなモノも、そのモノの周りに様々な物語を作り出す。【おじいさんののっぽの古時計】ではないが、誰かが使っていたモノには、「モノ」と「ヒト」をかけ算 した価値が残る。また、誰かから貰ったということも価値になる。【プレゼント】は、「モノ」に「ヒト」のつながりが刻印される。【皇室御用達】ではない が、「どこで現在使われている」のかも、モノの価値に繋がっている。【業務用】の雰囲気が好きな感性なども、この「使われ方」が価値に繋がっているところ があると思う。そう考えると、販売の仕方も多いにモノの価値に関わってくる。【アスクル】などは、明日届く(一部今日くるだったりもする)という「タイム リーさ」がモノの価値のかけ算になっている。ある【伝統工業】の商品が、失われつつある「伝統産業を保全する」意味合いがあるのでは、それは文化への投資 ともいえる。このように、モノの周囲には様々な価値がうずまいている。 冒頭の文章に戻ると、ヒトや地球と繋がる「事」は【エコ商品】Earth Literacy’s value といえるが、これはモノづくり文化の中で、昨今一つの時代のパラダイムになっていると思う。環境に優しい商品を選択することが”あたり前”に なったのは、大きな価値潮流の一つの変化ではないだろうか。この潮流の根っこは、単純にこのままだと地球が危ないという危機意識からではないと思う。イン ターネットで世界中の情報が繋りつつあるグローバルビレッッジの感覚がこの価値を下支えしているのだと思う。つながりを気づかせることとアクションに起こ すことのギャップ埋めない限りは、言いっぱなしであるのだけれど、多くのものは、そのフレーバーの商品で満足してしまうものでもある。ここが、多くのヒト の悩みになっており、このギャップこそが気になる。このギャップは、補助線が月まで伸びている気分にさせる。でも、価値のつながりをクリアーにすること で、Earth Literacy の知恵が入った商品をつくることができる時代になったのも確かだと思っている。

naoaki つくらないをつくる

友人の結婚式で思い出したこと。 「自分たちの時代のモノづくりは、「つくらないをつくる」のが大事なのでは。」課題にあきて、大学のラウンジでカップラーメンとかを食べている時に、そん な話しをしていました。 作りすぎてしまう世の中だと、実は作らないですませるということが、生み出すということに同義で、何も考えずに、どんどこ作り出してしまうことは格好の悪 いことだと当時の僕らは感じていたように思います。 彼は、フリーマーケットで古着やスニーカーを売るのが上手で、売るたびに、かなりの額を儲けていました。価値あるとされるものを見つける目利きというより は、 みんなの価値の相場感覚が分かっている感じで、そういう感覚はクールだなと思います。彼は、今は中国でどんどこ建物をたてているし、ボクは多くの国でたく さんのものを売る会社で働いている。僕らは個人であることと、そしてたぶん大きな世界が繋がって呼吸しているみたいな文明活動のことを話しをするかもしれ ない。気がつけば、つくらないどころか、つくりまくるど真ん中にいる。今の立場だと、つくらないをつくるというと、あまりにもナンセンスになってしまう し、真面目につくらないをつくることは、リユースになる。そして、リユースが果たして、ゼロエネルギーで実現できるかというと、そうもいかない。 そうなると、いいものをつくる。その場で、その場のためにつくる。 それしか残らない気がしてくる。 そう、ロケットをつくらないと、僕らはあの青い地球の写真を拝むことはできなかったのです。だから、今、この場と、つくることがどう繋がれるかが大事なの だと今は思うのです。