Posts from 10 月 2008.

naoaki つくらないをつくる

友人の結婚式で思い出したこと。 「自分たちの時代のモノづくりは、「つくらないをつくる」のが大事なのでは。」課題にあきて、大学のラウンジでカップラーメンとかを食べている時に、そん な話しをしていました。 作りすぎてしまう世の中だと、実は作らないですませるということが、生み出すということに同義で、何も考えずに、どんどこ作り出してしまうことは格好の悪 いことだと当時の僕らは感じていたように思います。 彼は、フリーマーケットで古着やスニーカーを売るのが上手で、売るたびに、かなりの額を儲けていました。価値あるとされるものを見つける目利きというより は、 みんなの価値の相場感覚が分かっている感じで、そういう感覚はクールだなと思います。彼は、今は中国でどんどこ建物をたてているし、ボクは多くの国でたく さんのものを売る会社で働いている。僕らは個人であることと、そしてたぶん大きな世界が繋がって呼吸しているみたいな文明活動のことを話しをするかもしれ ない。気がつけば、つくらないどころか、つくりまくるど真ん中にいる。今の立場だと、つくらないをつくるというと、あまりにもナンセンスになってしまう し、真面目につくらないをつくることは、リユースになる。そして、リユースが果たして、ゼロエネルギーで実現できるかというと、そうもいかない。 そうなると、いいものをつくる。その場で、その場のためにつくる。 それしか残らない気がしてくる。 そう、ロケットをつくらないと、僕らはあの青い地球の写真を拝むことはできなかったのです。だから、今、この場と、つくることがどう繋がれるかが大事なの だと今は思うのです。

tomohiro「深々と降り積もる雪」

左脳が言語中枢を持ち言語処理を行い、右脳が風の音や川のせせらぎなど非言語の処理を行っている。というのが世界の定説だが、 日本人または日本語が母国語の人だけは違っていて、非言語の部分も左脳で行っている。つまり非言語も言語の一部として処理している。というのが角田学説である。 「実に面白い。」とアゴでもひと撫でしたくなってしまった。 日本語には擬音つまりオノマトペが非常に多い。 コオロギが鳴く音は「リンリン」だったり、風は「ごうごう」だったり「ヒューヒュー」だったり。 マンガの世界なんて擬音だらけだ。ひでぶーだ。 千利休は湯の沸くを5つに分類し名前を付けたらしい。ただ単に湯が沸騰している音をそんなに細かく分類して、さらに名前まで付ける。音が文字として頭の中に浮かんでいるからこそできることなんだろう。 また降り積もる雪を「深々」という。これは音のことではないが、絶え間なく降り続く雪を見ているとなんとなく「しんしん」という音が聞こえてきてしまう。実際にはない音まで聞いてしまうのだ。それはきっと余韻を聞いているんじゃないだろうか。 日本人はそういう、積極的に余韻を聞くということで想像の余白を広げていく。 そして古池には蛙が飛び込むのである。 余韻を聞く。余白を紡ぐ。じつにおもしろひね。